昭和44年05月25日 夜の御理解



 「合楽の信心は、超合理的です」
 二、三日前上野さんから、あちらへ学院に入って初めての手紙がまいりました中に、同んなじ班に、上野さんが班長さしてもらい、それから大分の八坂先生ところのお弟子さんが、副班長をする事になったと。それでその偶々話をしておるうちに八坂先生がこちらに、このごろ見えられたときの話。「学院に行ったら、合楽からも修行生が行くらしいから、合楽の信者の信心をよく見ておけ」と言われましたとこう言うそうです。
 修行生というてもこの方は、今度あちらの若先生の奥さんになられる方で、まぁ本気でそのう教師としての修行と同時に、教会長婦人としての全ての事を身につけていかなければならんと、いう様な意欲をもって修行にいっとられますから、なかなか違うところがあるいう訳です。それにあのう八坂先生が、合楽をどういうふうに感じられ見られたんでしょうかという事を、ある時上野さんが尋ねたのに対してから、「これからはわしの生き方が変わるだろう」とこう言われたという。
 合楽を見た。合楽を実際に教会に行ってみてですです、そしてそのう帰って言われた事は、「これから私の生き方が変わるだろう」とこう言われた。どういうふうに変わられるんだろうかと。それではなくてもまぁ言うならば、教団で今ときめく人であるし、教会としても一級教会の教会長としてですたい、合楽を今まではどう見ておられたであろうか。それが合楽に来られてから、これからわしの生き方が変わると言われたのは、どういうとこを見てどういう事を感じられたのだろうかと。
 今日二十五日の幹部研修会でしたが、伊万里から沢山今日はあの、竹内先生を始め皆んな一緒に参加して頂きましたから、大変賑やかな大変有益なお話しを頂かしてもろうたり協議をしたんですけれども、その中で竹内先生がこういう事を言うとられます。例えば問題があると。教会にお参りをすると。その問題を問題としてその問題に取り組み方、又はその問題に対する解決の道を与えてくれるという教会は、沢山あるだろうけれどもです、例えば合楽で驚く事はね。
 とにかく問題を問題としないところまで教えて頂く事だと言っておられます。例えばそれぞれの問題を持っておる。合楽で段々お話しを頂いておると、本当の事を分からしてもらうと、もうそれは問題ではないという事である。もう性質が全然変わって来るということなんです。これは恐らく日本中で今合楽だけだろう。そういうおかげを受けられる教会は、合楽を於いてはないだろうと言うとられます。私はそういう様な事ではなかろうかとこう思うですね。
 八坂先生のこれからの生き方と、在り方といったようなものが「わしの生き方がこれから変わるだろう」と、「本部へ行ったら合楽の修行生が行くから、その合楽の修行生の信心をよく見て来い」と修行生に言われた、というのは何をなら合楽のその修行生から見とって来いと言われたのであろうか。そういうような事であろう。今日は昨日から青年会長の孝さんが。長崎の東部教会で行われた、北九州の青年の総会ですか、並びに信心実習会に参加して、久留米地区からはここだけだったそうです。
 80何名からの27カ所の教会でしたかね、80数名会員が集まってまぁ信心の研修をした訳です。その中であのう福岡の高宮の教会の、教会長先生が講師として見えとられたと。その模様をいろいろまぁ報告して下さったんですけれども。どこをどういうふうに頂いてもですね。現在の金光教の信心の中からは、いかに合理的な信心であれという事を教え、又そうある事を願っておるかという事であった。ですからどこの誰が聞いてもいうならばです、合点がいくような信心という事です。
 いわゆるあおのう合理的な信心というような事を、まぁいろいろな角度からそのうお話しを聞いて来たとこう言うとりましたがですね。そういうことの中からは、私は本当に金光教的助かりというのは有り得ない。いわゆる平凡なんです。平凡になってしまう。何宗も何派も同んなじような感じになって来る。金光教のいうならば独壇場といったようなところを発揮して行く事は出来ない。
 八坂先生あたりの場合でもやはり教学の面でも九州では、まぁ何人かという意味のおられる内のなかの一人であられる八坂先生がです、「これからわしの生き方が変わる」今までは、まぁ私のこれは推察ですけれどもです、その合理的な金光教の信心と言うものを頂きよる。それを教え又それを推し進めてみえられたのがです、いわば合楽の場合どこまでも合理的でない。まぁいわゆる強いていうならば、超合理的な信心のそこんところをです、何か感じ取って帰られたんじゃなかろうか。
 でなかったらこういうようなもの、ような助かり方は出来ない。そういうものを感じとって行って下さったのではなかろうか。いわゆる合理的な信心からは、言わば生き生きとした金光教の信心、本当の信心というものは生まれて来ないと、いうようなところじゃないかとこう私は思うたんですけれどもね。とにかくお互いがです、そういう問題の中にある合楽である。又合楽を知らずして、とにかく今日竹内先生も言われておりましたが、竹内先生ほどしの方が。
 いうなら最高学府を出られて、しかも金光教としてはです、お母さんのおなかの中からの信者であり、本部議員までもなさり。書き物でも本部からいつもご依頼を受けておられた先生が、「あなたはとにかくまぁ騙されておるんだ」という意味の事をあっちこっちから忠告を受けるけれどもです。それは今合楽のいうならば、超合理的な信心に帰依し、その信心をもう実は教会遍歴もそれが目的であった。その目的がここに果たせられるという、そのうおかげを頂いておるから合楽にあるんだと説明しても。
 現在の金光教の信心を頂いたのでは分らん、というほどしにですまぁある意味合いでは、私は高度だと思うんです。高度であるがために分らないのであるから。私共がそこんところの信心を頂いて、本当に超合理的な信心から。超、今朝の御理解のいわば、偉大なおかげにつながる信心というようなものをです、頂いていかなければならんというふうに思うですね。
 「合楽の信心を見て来い」合楽の信心を例えば、一日一晩泊まりでここに八坂先生、みえられて「これからは、私の信心が変わるだろう」と言われた。そこんところがですね。私はこれからの金光教の信心のどこの教会にも、どの信奉者にでもです、私は分かって頂かなならんところじゃなかろうかと。それには先ず私共が身を持ってそこんところを頂いて、現していけれる信心こそが、大事じゃなかろうかというふうに思うですね。       どうぞ。